Dr.平石の保健室
① スポーツ医学の出会い勝つための身体作り

医師になって45年、街のお医者さんになって37年になります。日々の診療で感じたこととか経験したことを「Dr.平石の保健室」として、記録していこうと思い、このコーナーを作ってもらいました。


これまでたくさんの患者さんとの出会いがありました。特にスポーツ選手との出会いや触れ合いはとくに数や質は日本一と言っても過言ではありません。

40才を過ぎたころ、世界の医療は日進月歩の時代を迎えました。とくに薬剤の進化は、目を見張る時がやってきました。内服薬の進化は、外科医の手術技術も進化しましたが、経験を要らず、昨日医者になった新卒の医師が処方したお薬が、ほぼ完ぺきに胃酸を抑える制酸剤(プロスタグランディン)が発売された時代でした。医学生の当時、私の教科書には幻の薬として載っていました。


その進化ぶりは現場の医者として効果もさることながら、副作用や依存性も強く、不安を感じる診療の時代でした。薬だけに頼らず、もっと食事や生活ペースで健康を維持できないかと考えていました。


ある日、ヤクルトスワローズの秦真司君が故金子先生(米国仕込みの分子栄養学専門家)の紹介でクリニックへやってきました。選手の血液検査をやってほしいとの要望で、それは細かいデータも出させるものでした。私のそれまでの経験にはない、「勝つためのコンディション」作りの基礎データ作りでした。金子先生との出会いが、血液データは改めて、正直患者さんの現状を知る最も簡単で正確に知るデータを実感しました。疲れている原因や勝てない原因が、そこには隠されていました。


選手の能力・体調や得意不得意もおもしろいようにわかりました。やがて古田さんや池山さん、広沢さんらが、当時のヤクルト主力選手が大挙してやってきました。当時、ヤクルト黄金時代で、クリニック(西麻布時代)と神宮球場を毎日往復していました。


やがて、1996年清原和博さんが西武ライオンズから、巨人に移籍し、村田真一選手らと巨人軍選手が自然と増えてきました。桑田真澄さん・豊田清さんら。西武ライオンズからは、カブレラや松坂大輔さんら、ニンニク注射や花粉症の治療にやってきました。西武対巨人の日本シリーズは、両軍のコンディション作りに働いていましたから、最高の戦いになりました。シリーズ初戦の朝は清原君の自宅で、十分なコンデション作りを話し合い、対松坂対策も練って挑んだのが昨日のように思い出されます。

そのころに、Jリーグ「ベルマーレ平塚(現湘南ベルンマーレ)」のチームトレーナー三宅公利先生との出会いが、その後サッカー界への進出のきっかけになりました。三宅先生と選手との会話や励ましはその後の私の医療に大きく影響されました。まずはベルマーレコンンデシヨンDr.として中田英寿君・名良橋晃君・田坂和昭君・野口幸司君らとの出会い、さらに柏レイソルのチームドクターとして活躍の場所をいただきました。ホンミョンボ君・カレッカさん・ストイチコフさん・エジウソン君のワールドクラスの選手らの身体作りやケガの治療は、今でもはっきり憶えています。レイソル時代の故久米一正GMの選手掌握術(著書:人を束ねる)も、大きな影響を受けました。


野球界・サッカー界・ラグビー界・競泳界・スケート界・大相撲界・格闘技界・箱根駅伝へとスポーツDr.の活躍の場は、恵まれるほど、広がっていきました。「勝つためのコンディション作り」の経験はやがて「午後は思いっきりテレビ」出演へとつながっていきます。

追伸)30年間六本木で開業医をしてきましたが、今年から横浜市中区山下町に本院を移し、コロナ禍と闘っています。